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たばこと塩の博物館に聞いた! あまりにも長いたばこの歴史・その③

『CAPNOS』でも取り上げている通り、近年のたばこシーンは加熱式たばこ、電子たばこといったデバイスの誕生で、新たな時代を迎えています。

まさに転換期と言っても良いかもしれない今、改めてたばこの歴史を振り返るべく、東京スカイツリーにほど近い場所にあるたばこと塩の博物館を訪ねました。

世界および日本のたばこにまつわる尋常ではない量の貴重な展示を拝見させていただきながら、さらに同館の学芸部長・鎮目良文(しずめ・よしふみ)さんに、あまりに長いたばこの歴史について全5回にわたって話をお聞きします。

第3回の今回は、明治37年に日本でのたばこが専売になった経緯について話を聞きました。

↑たばこと塩の博物館

かつて専売品だった、たばこと塩の歴史と文化をテーマに1978年に設立された博物館です。

長い歴史を持つたばこ、人類と深い関わりを持ってきた塩について様々な展示を行なっています。

また、不定期での特別展もあり、常に新しい発見を得られるのも同館の魅力です。

  • 住所……東京都墨田区横川1-16-3
  • 電話……03-3622-8801
  • 開館時間……当面の間、11~17時(16時30分入館締切)
  • 休館日……月曜日(月曜日が祝日、振替休日の場合は直後の平日)および年末年始
  • 料金……大人・大学生(個人)=100円、満65歳以上(個人・要証明書)=50円、小・中・高校生(個人)=50円
  • WEBサイト……https://www.tabashio.jp/index.html

日本でたばこが専売制になった経緯とは…

ーー明治37年に日本のたばこは専売制になりますが、この経緯を教えてください。

鎮目良文学芸部長(以下、鎮目) 明治20年代から30年代にかけて大きなたばこ業者ができますが、特に岩谷松平、千葉松兵衛、村井吉兵衛の3人は、それぞれ個性的なたばこ商品と広告宣伝により、世間に名をとどろかせました。

彼らの争いは後に「明治たばこ宣伝合戦」と呼ばれるようになったのですが、このことでたばこ市場は寡占化にも繋がり、専売導入への下地が作られていきました。

また、この3業者のうち、村井吉兵衛はアメリカン・タバコ社と資本提携をして、アメリカ製のたばこ製造機械を輸入したり、アメリカン・タバコ社のたばこ銘柄をある種のライセンス生産をするようにもなっていました。

シガレットは前回も話した通り、機械化がしやすいため、資本力がものを言う面があります。

つまり、大きい工場を作ることができ、大量に製造するほうが安く提供できる

そうなると、筆頭の3業者のうち、村井吉兵衛の会社が独壇場になっていくんです。

これに対して明治政府が「良くない」と考えたのが、専売制になった理由の一つです。

一方、村井吉兵衛の会社はアメリカン・タバコ社と資本提携をしているわけですが、当初5対5という対等な株の配分をしていたところがだんだん6対4、7対3みたいになっていきます。

そうすると、日本最大手のたばこ会社が、アメリカン・タバコ社ということにもなりかねません。

明治政府から見ると、税を取りやすいたばこを、海外の企業に持っていかれてたまるかという思惑もあり、明治37年に専売制になります。

この専売制には日露戦争の戦費調達のためという理由もありました。

日露戦争は外積……外国からの借金で始めざるを得なかった浅草ですので、その返済の意味もあったと思います。

↑日本のシガレット黎明期に奮闘した岩谷松平、千葉松兵衛、村井吉兵衛

↑岩谷松平による岩谷紹介製のたばこ。日本らしい奥ゆかしい雰囲気が漂っています

↑千葉松兵衛による千葉商店製のたばこ。どことなく力強い印象を与えるパッケージです

↑村井吉兵衛による村井兄弟紹介製のたばこ。岩谷、千葉の製品に比べ、アメリカの雰囲気が漂っています

専売制によって押し進んだ日本製たばこの近代化

ーーこの専売制が昭和60年まで続いたということですね。

鎮目 名称・組織名は変わっていきますが、専売制は実質昭和60年まで続きますが、政府が管理、製造、販売することで、それまでとは違う様々な変化があったようです。

それまでは色んな地域で、色んな原料によって作られていたたばこですが、仮に100~200種類あるたばこを、国が研究しブレンドし製品化するというのはかなり大変なわけです。

それよりも「こういう味のたばこを、統一感を持って効率よく作ってくれ」と下請けに任せるほうが国としては楽なわけです。

これは日本のたばこの近代化への転換でもあったと思います。

また、大正、昭和初期になるとシガレットの消費量がキセルを上回り、そのためにシガレットの工場もさらに多く作られるようになり、供給量も増えていきました。

特に大正時代は、風俗も西洋化された時代で、モダンにも映ったシガレットを嗜む慣習は、さらに浸透していくことになります。

↑専売制導入当初のたばこ

英語名のたばこは日本語に…

ーーやがて第二次世界大戦がぼっ発します。この前後、たばこにはどんな変遷があったのでしょうか。

鎮目 昭和6年に満州事変、昭和12年に盧溝橋事件などがあり、日中の緊迫度が上がっていき、やがてアメリカとの関係だんだん怪しくなり、戦争の足跡が聞こえてくるなか、日本国内では国民の間で、「外国語を禁止したほうが良い」という運動が起こり、たばこの銘柄で使われていたゴールデンバット、チェリー、カメリアといったものもその対象となりました。

ゴールデンバットは販売禁止となり、チェリーは「さくら」、カメリアは「つばき」と名前を変えました

昭和16年に太平洋戦争が始まり、昭和17年くらいまでの日本はある意味では勝っていました。

ところが、昭和18~19年につれて、だんだん苦しくなっていき、資源も少なくなっていく中で、たばこにおいてはまずパッケージで金属インキが使えなくなりました。

また、当時のたばこの耕作地は東北や九州が多かったのですが、その農家の次男、三男などがどんどん兵役に取られることになり、たばこそのものの生産量も減っていきます。

そのうちに食料などと合わせて配給制度の枠組みの中にたばこも入り、購入制限がかかっていきます。

さらには、昭和19年には、日本本土への空襲も始まり、昭和20年には、各地のたばこ工場も空襲を受けてたばこの生産量はどんどん追いつかなくなっていきます。

↑戦地の兵士に贈られたたばこ・錦

次回は、終戦から戦後のたばこの話をお聞きします。お楽しみに!

次記事:たばこと塩の博物館に聞いた! あまりにも長いたばこの歴史・その④

 

▶︎ 取材記事リンク

松田義人

松田義人(まつだ・よしひと)

ヘビースモーカーで「タバコなら加熱式、電子、紙巻きなんでも来い」の編集者・ライター。一番好きなタバコは台湾の「新楽園」という銘柄。


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